原田を救いたい(蹴りたい)
そのうち、その原田がだんだん酔いだして、なんか、最近、彼女と別れたとか、別の男に取られただとか……なんかそういうわたしには何の関係もないことでグチり出し、だんだん泣きそうな顔をし出すのを、うんざりしながら眺めていました。
久しぶりに美味しいお酒を飲めると思っていたのに、ほとんど誰かも分からない男のくだらない愚痴を聞いているのが苦痛でした。
なんだろう。
なんで野郎の泣き顔っていうのは、ああもう後ろから蹴りたくなるんだろう。
さすがに本当に蹴るわけにはいかないので、作り笑いを浮かべて、適当に頷いたり、そうだねとか言ったりして聞いているフリをしていました。
そのうち、わたしの目が死んだ魚みたいだとか、氷みたいに冷たい目で原田を見ているよ、と言ってきた別の子に、「そんなことないよー」と焦って取り繕ったりしながら、でも、あとはその子に原田を押し付けて、わたしはお酒を飲んでました。
原田って誰だ
ひさしぶりに元ゼミの知り合いとごはんを食べに行ったとき、ちょっとわくわくしていました。
大学時代は、うちのゼミは人数少なかったので、わりと仲良かったです。
卒業してからも連絡とってゴハン食べにいったりしていました。
今回は久しぶりにお酒飲んだりするし、本当に楽しみでした。普段はあまり飲まない。
……が、正直にいうと、あの日、あの場にいた原田(確かそんな名前だった)という人をいまだに思い出せないでいる……。
誰だっけ。あんなのゼミにいたっけ?
でも、向こうはわたしのことを覚えているようでした。
「原田だよ。覚えてないの? ひどくない?」と言われて、とりあえず「ごめん、思い出したよ。原田くんね」
なんててきとーなことを言ってごまかしたけど、本当は今もなお、思い出せない……。
彼はわたしの席の前に、よりにもよって、わたしの席の前に座って、いろいろ話していて、その都度、相槌打ったり、適当に頷いたりしていたんだけど、彼の話をずっと聞いている間、なんとか思い出そうとしたけど、結局、無理でした。
これ読みたい グランマ・ゲイトウッドのロングトレイル
1955年、アメリカの3大ロングトレイルのひとつ、アパラチアン・トレイル(約3500km)を
女性としてはじめてスルーハイクしたのは、67歳のおばあちゃんだった。
エマ・ゲイトウッド、67歳、ハイキング経験なし。
DV夫と11人の子供と23人の孫をもつ彼女は、テントも寝袋も持たず、
毛布一枚にくるまりながら、トレイルを1日20km歩き続けた。
その姿はやがてニュースになり、行き先々で記者が待ち構えるようになる。
彼らの「なぜ歩くのか?」の質問をはぐらかしていた彼女は、やがてその胸の内を語り始めた。
トレイルでの出会いと別れ。夫のDVに耐え続けた34年間の結婚生活。
モータリゼーションが進むなか環境保護が叫ばれる時代背景。
現代に生きる著者によるトレイル再訪・・・。
場所と時代を行き来しながら語られるエマ・ゲイトウッド一代記。
ロングトレイルをめざす全てのハイカーの憧れであり目標であるエマおばあちゃんの真実がいま、語られる。
だそうです。今度、これ読みたい。
〈東雲林檎(しののめ りんご)使用上の注意〉
・けっこう人見知りでコミュ障です。
・人付き合いが苦手で、SNSでもストレスが溜まりやすく、ぼちぼちの距離感で付き合っていきたいと思っています。
なので、ふぁぼはするけど、あんまりフォロバとかリプしません。
……ごめんなさい。
・ゲームとかアニメ、マンガが好きです。
なので、それの呟きとか多いです。
苦手な人はご注意ください。